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本の特送便 梅書房 > 福島の記憶 3.11で止まった町
9784845115761 福島の記憶 3.11で止まった町
福島の記憶 3.11で止まった町
¥1,944   在庫有り
飛田晋秀/写真・文

旬報社
2019年2月
芸術/アート写真集/ドキュメント写真集


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【内容】

“この悲劇を絶対に忘れ去られないようにしてほしい”

事故直後から撮り続けた250点を超える写真が訴える地域の現実。


【目次】

小名浜
広野町
久之浜町
楢葉町
川内村
都路町
葛尾村
富岡町
大熊町
双葉町
浪江町
南相馬市
飯舘村
三春町


【おすすめ】

人々の声がシャッターを押させ続ける!

福島第一原子力発電所の事故から8年がたとうとしているが、いまだに5万人を超える人々が避難生活を強いられている。

事故直後から撮り続けた250点を超える写真が訴える地域の現実。



◆「はじめに」より

私は報道カメラマンではない。30年以上も職人を撮って来た、写真家だ。

2011年、2月中旬来半月かけて九州を回り、写真集にしようという矢先のことだった。あの3.11大震災と原発爆発が起きたのは。

いっとき、私は迷った。撮るべきか、撮らざるべきか。分野が違う。やめた方がいいのではないか、と……。

私の背中を押したのは、被災者だった。

いわき市小名浜に知り合いを見舞ったときのこと。

「是非、小名浜の状況を見てもらいたい」「絶対風化させてはならない」。その人は、多くの知人を津波で流され、亡くしてしまっていた。私は、深い胸の底から、「迷い」が吹き飛んでいくのを感じた。恥ずかしかった。被災地の、入れる所まで入って、撮影をするべきなのだ。

私は決心した。

4月から7月、小名浜から広野町、警戒区域手前まで4回撮影した。凄まじい姿だった。自然の猛威にはなすすべが無い。ただ、夢中でシャッターを切っていた。

ボランティア活動もした。避難している人とも知り合った。

「避難所を出て借り上げ住宅に移る、リフォームし落ち着いたら、是非私の街の姿を撮ってほしい」と請われた。翌2012年1月末、初めて原発避難区域に入った。自分の家に入るのに許可証がないと入れない地域、防護服(タイベック)を着て入らなければならない地域。現実を目のあたりにした。放射線量が高い。区域内には1時間半しかいられない。震災から間もなく1年になろうとしているのに、何も手が付けられていない。時間が止まったかのように感じた。臭い、味覚もない、目にも見えない。ガイガーカウンターの音だけが不気味に響いた。

ファインダーが涙で曇った。手もだるくなったが、夢中でシャッターを切りまくった。そのうちにだんだんと怒りが湧いてきた。この現状を伝えていかなければ、誰かが伝えなければならいではないか。

避難区域には人は誰もいない。ゴーストタウンになってしまった。3月18日東京電力福島第一原子力発電所の近くに入った。車の中から撮影した。その時ガイガーカウンターが振り切れてしまった。後で検査を受けた時、私の体の放射線量は46μSv/h(マイクロシーベルト/時)もあり仰天した。法令では人の放射線被曝限度線量0.23μSv/h。200倍だった。

2012年8月、ある場所で撮影していた。

「おじちゃん、わたし、大きくなったらお嫁さんになれる?」。

近寄ってきた小学低学年らしい女児から突然、言われた。一瞬呼吸が詰まった。返事ができなかった。「ごめんね」と言うのが精一杯だった。

帰り道、車の中で私は号泣した。この事態を子々孫々、若い世代に伝え原発事故の現実と記録を後世に継承しなければならない。

今まで100回ほど避難区域に入っている。行くたびに家屋がひどくなっているのがわかる。放射線量も高く、帰還困難区域は7年が過ぎても防護服(タイベック)を着なければ入れない。家にも入れず周りは高線量で、長い時間はいられない。

ある避難者は、事故前は家族9人で暮らしていた。が、避難してから2ヶ月後に祖父が亡くなり、
祖母は施設に入り、息子夫婦と3人の孫は関東に避難して戻らず。家族がバラバラになってしまった。
家も仕事も、原発事故で全てが奪われてしまい今後どのようにしたらよいのか、考えなくてはならない。

現状を見た時、国は人に対して、復旧ではなく原発事故前と同じやり方をしている。除染などの費用は4兆円以上になるそうだが、生活支援を優先にするべきではないか。

7年が過ぎて報道されることが極端に少なくなってきている。

原発事故災害は、私たちの代で終わることはない。これからの世代に原発事故の事実を風化しないように記録し、伝えていかなければならない。